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帰ってきた [雑記]

 木曜の朝に母方の祖母が亡くなった。という連絡で、金曜の夜に
お通夜、土曜日には告別式と斎場で荼毘に付し、初七日を済ませ、
妹夫婦の車で宇治市内から京都駅まで送ってもらい、日曜日、
夕方に2時間に1本の小田原停車のひかりで帰ってきました。
 そして月曜日まで休暇取っており、やっと、前日の記事を出せます。
 数年前の父方の祖母の葬儀の時は、祖父がなくなってから10年
近くたって、横浜市内の施設に入れていて、まったくもって、
会う機会を親に奪われていたため、どこのホームに入れているかも
知らなければ、顔見せることすらなく、最後に会ったたのが2011年で
その時に顔を見て名前は覚えていてくれたんだ。ということがあり、
それから5年くらいしていざ、式場で亡くなった顔を見ても、どうにも
涙が出ることがなかったのですが、今回は通夜の最後には、一気に
混み上げたため、一番最後の出棺、式場から叔父と私含めた孫たちが
棺を抱えて、外のレクサスLSの霊柩車に入れ終わる数メーターの間に
思いっきり、入れ終わってからはこらえきれずに抱えながら嗚咽して
しまいました。
 思い出せば98歳の誕生日の際に母親ふくめ叔父の場と祖母と食事して、
叔父の車と店の往復歩いてるときに、
「そんなに遅いとこっちがこけてまうわ。」
と言われて少しあるく速度を上げたことがあり、そのときに、あと
もう少しで100歳を迎えるんだね。ということで昨年100歳を過ぎて、
母親が月1回は実家に1週間ほど滞在していたので、確か鳩サブレを
託しましたが、その後なかなか行くことができずに、来週末に関西の
旅行の帰りに宇治の家に寄ろうと思っていたのですが、残念ながら
叶いませんでした。
 これで、両父母の祖父母はすべていなくなり、今、精神的に何か
わからないものを失ったままの気持ちです。
 まあ、今思えばこれで、親戚一同皆会う機会を作ってくれたのかな。
と思いますが、中曽根とほぼ変わらない年で、
母方は5人兄妹の2番目で、私が小学校低学年で祖父が、次に母の上の
兄と、母から見て一番下の妹を30,40台で早くに亡くし、そして
母の兄の娘である私より年上の従妹も亡くし、それが私が社会人に
なったかくらいの頃ですが、叔父の話では、私の知らないところで
 なんでこんなおもいばかりするんだろう。
と、家の大木をみなバッサリ切ったのも、私には、
 もう年だから、大きな木は邪魔になる。
と言ってましたが、もうこんな思いするなら。と切ったと
いうことを知りました。
 喪中に際し、時がたつにつれて、気持ちが戻ると思いますが、
今は積極的に動きたくなく、ぼちぼちと仕方なくしか動きたくない
気分です。

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